阪神淡路大震災
当時
私は会社員で東京本社で勤務をしていた
全国に事業所をもつ会社だったので
翌日から手薄になった事業所へ応援に出た
そして10日と少しを過ぎたころ
神戸の中心部へも入ることになった
新幹線で大阪まで行き
JR福知山線三田から
神戸電鉄と
北神急行を経由して市内にたどり着いた
電車が駅に着く
込み合う車内
乗り込もうとする人との間で諍いがおこる
大きな声が飛び交う
TVでは人々の助け合い
ボランティアの人たちの献身的な活動が
連日映し出されていたが
そこで生活する人たちの日々は
あたりまえだが、もっと切実だった
一転、神戸の市内では
いつもなら多くの人が行きかっているだろう街に
人影はまばらで、非現実を描いた
静止画像を見ているようだった
ただ重機のア-ムが上下する動きと音だけが
これが現実であることを認識させていた
ガラスが飛び散った館内でヘルメットと手袋をして
数日間、任務をおこなった
帰路は臨時便だったように記憶するが
神戸からフェリ-で大阪に入り、東京へ戻る
人がごった返し日常に戻った東京の風景は
神戸よりよほど非現実的であるかのような
錯覚に陥った
直接、被災者の方々の
お世話をしたわけではなかった、ただ
流通業である会社がいち早く機能を回復し
商品をお届けできるようになることで
復興のお役にたてれば、との思いは
現地に入ってあらためて強く感じたことだった
神戸を生地(せいち)とするCEOが
気迫に満ちた強い使命感をもって
現地で直接指揮をとった企業の一員だったことは
今も誇りに思っている
当時
私は会社員で東京本社で勤務をしていた
全国に事業所をもつ会社だったので
翌日から手薄になった事業所へ応援に出た
そして10日と少しを過ぎたころ
神戸の中心部へも入ることになった
新幹線で大阪まで行き
JR福知山線三田から
神戸電鉄と
北神急行を経由して市内にたどり着いた
電車が駅に着く
込み合う車内
乗り込もうとする人との間で諍いがおこる
大きな声が飛び交う
TVでは人々の助け合い
ボランティアの人たちの献身的な活動が
連日映し出されていたが
そこで生活する人たちの日々は
あたりまえだが、もっと切実だった
一転、神戸の市内では
いつもなら多くの人が行きかっているだろう街に
人影はまばらで、非現実を描いた
静止画像を見ているようだった
ただ重機のア-ムが上下する動きと音だけが
これが現実であることを認識させていた
ガラスが飛び散った館内でヘルメットと手袋をして
数日間、任務をおこなった
帰路は臨時便だったように記憶するが
神戸からフェリ-で大阪に入り、東京へ戻る
人がごった返し日常に戻った東京の風景は
神戸よりよほど非現実的であるかのような
錯覚に陥った
直接、被災者の方々の
お世話をしたわけではなかった、ただ
流通業である会社がいち早く機能を回復し
商品をお届けできるようになることで
復興のお役にたてれば、との思いは
現地に入ってあらためて強く感じたことだった
神戸を生地(せいち)とするCEOが
気迫に満ちた強い使命感をもって
現地で直接指揮をとった企業の一員だったことは
今も誇りに思っている
2016/01/18(月) | 未分類 | トラックバック:(0) | コメント:(0)